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![]() 小櫻崇策 ♪北見のひとよ♪ 平成8年「北見市開基-00年票」に「ふるさと交流 会」の子供たちを引率して、久々の帰郷でした。なん と美しいオホーツクブルースカイ。身も心もすっかり都会のグ レー色に染って、改めて知るふるさとの素晴らしさ。 この感動!是非世に拡めたいと妄想する。北見が 誇る「ハッカ・ミント」。ハッカ御殿の地「仁頃」は知名度薄 いが、逆にインパクトは強い。精霊気高き花「エゾミソハギ」 群生。心が和む夕挽け雲。2つの川が出会い寄り添 う「中の島公園」。自慢の「シルキースノー」ここは「野の 果て」、アイヌ語で「ヌプンケシ」→「野付牛(ノッケウシ)」→ 「北見」と歴史は変遷する。旅人の門戸「女満別空 港」。これで題材が揃った。曲調は、北国の哀撃。トラン ペット、ギターで魅き付けたい。 時は経ち、やがてこの妄想が好運にして、大勢の 良き仲間を有して現実化されていく。 「第25回東京北見会記念総会」の事前幹事会で 題材となり、歌ってみたいと言う女性幹事もいて、泉 幹事長の先頭指揮で活発的に、前例のないイベントを 企画遂行していった。 ウエスティンホテル東京での結果は、歌手の素質・努力も あって、見事大成功でした。 ♪お元気ですか(オホーツク恋し)♪ 「オホーツク圏ふるさと会」発足にあたり愛唱歌をとの 依頼があり。条件は、26市町村全てを歌詞に。名曲 「知床旅情」の様な心に響くメロデイ。発表までの期限 は3ヶ月。これは、歌う「EM-KO」の清楚で爽やかな美 声を活かし、誰もが口ずさむふるさとの愛唱歌「歌う観 光パンフレット」にしよう。 作詞にあたって、歌う本人古賀恵美子さんを誘い、お 互いの感性を刺激し、試行錯誤のディスカッションによる共 作となる。 歌詞の初頭は、オホーツク全体を。遠隔地に旅人を呼ぶ には、飛行機→空を飛ぶ→鳥。ゴメ(海猫)はイイメージ が暗い。オロロン鳥(海烏)が響きいい。本来天売島に生 息し、冬にはオホーツク圏にも飛来する。また新潟のトキの 様に絶滅危横にあるとか。愛鳥保護の呼びかけにもな る。誰もが楽しく思うふるさとの人は? やはり「おふく ろ」だ。なお「手あて」との意味をも。心身が病んだ時に そっと差し伸べて癒してくれる「母の手」。 次に歌詞順番は、各地域の風土、文化意味合い、か つ、曲調等を考慮して決めた。 事前にご指導いただいた恩師宮川泰先生。安藤まり 子先生には心より感謝いたします。 「東京北見会」辰野会長の決断。幹事方々の発案・企 画・実行と勇気ある積極的行動。EM-KOのバッグンの歌 唱力、スター性。こうして、オホーツク地域・北見市地元の方々 のご支援により、CD化されました。 幸い、録音当日は私の30周年結婚記念日。 |
![]() 古賀恵美子 昨年3月末 家族で食事をしていた時に、兄に 『ふるさと活性化のボランティアCDをつくるにはどうし たらいいか』と相談し、同席していた父母の前で歌 ってみたところ「いい歌だね。是非力になっておや りよ」との母の一言で兄が動いてくれた。兄は音楽 や映像の業界に係わる仕事をしており、伊藤八十 八氏という日本のジャズ界では名匠といわれるプロテ ゙ューサーを紹介してくれた。このプロデューサーのもとにC D制作に係わる全ての音楽関係者が集まり動き出 した。4月30日、突然のスタジオ空きの知らせを受け、 世界でも一番の設備といわれているソニーミュージック の乃木坂スタジオに集合し収録作業がスタートした。 伊藤プロデューサーの指示で、トランペット奏者、アレンジャ ー、エレキギター奏者、コーラスのお姉さん達が各人の分野 を奏でて立ち去ってゆく。いずれも音楽の職人達で ある。 ミキシングROOMで聴いているとだんだんとあのメロデ ィーが組み立てられ仕上がっていくのがじわじわとわ かってくる。全身に鳥肌がたった。いよいよ、歌の出番 である。発声訓練もなく行き成り本番である。 「お元気ですか」からスタート。唄いながら歌唱指導が 入る。どんどん転調し、最後の北見のところは最高の 盛り上がりに唄うようにドンドンと太鼓の音に押される。 どうにも声がでない!限界だ!思ったら「OK」がでた。 次は「北見のひとよ」。出来上がったばかりの 前奏・・・トランペットのむせび泣きが響き、ギターが鳴る。気 持ちがズーンと歌に入るのがわかった。伊藤さんの「いい ね!」に乗せられて結構気持ちよく唄えた。"もっとこう 唄えるのでは・・・"などと自分の中に欲がでてきた時 「はい、いいでしょう」とOKがでた。あれ?もう終わり? こんなでいいのかな・・・とちょっと不安。 その後、ミキシングR00Mで録音した自分の声を聴いてい る時「これでいきましょう。後は技術に任せておけば大丈 夫」と言われた。少しあっ気なさを感じながらも廻りには 兄のホッとした顔、小櫻さんのOK顔、「ご飯食べよう」と労 いの言葉をかけてくれる夫と息子の顔炉あった。 やっとホーッとした。お昼にスタジオ入りして、スタジオを後にし たのは夜9時過ぎであった。翌日、5月1日 CD原版が仕 上がった。 兄の存在、母の一言から始まったこのレコーディングはこう した人と人との縁で最上級の環境に恵まれて出来あが った。通常では味わえないアマチュアの素晴らしいレコーディング だったと思う。貫重な体験、ありがとう! ![]() |